2015年03月17日

疲れますよ


わたしは、本気で主婦業をやったことがない。
なので、いともカンタンに、「仕事よりカンタン」と言ってのけてしまう。

一生懸命、身を粉にして主婦業に邁進、精進されておられる方を尊敬こそすれ、けなす気持ちは微塵もない。

自分は、劣等生なので、主婦業に精を出せないのだ。
そして、「主婦業がわたしの評価される分野の全てだ」と、ある日、気が付いたとき、
奈落の底に落ちるような気になった。

もっとも、苦手でヘタで、キライで、どうしようもない、主婦業のデキが、わたしという人間のデキの評価基準になる。
ということは、ゼロ、あるいは、とてつもなくマイナスだ。

それが、どうした?
世間に迷惑かけてるわけじゃなし、文句あるか?

と、開き直る潔さも持っていなかった。
ぐじぐじ、うじうじ、じめじめ、洞窟の奥底で、長い間、ひとり、拗ねていた。

やって当たり前、評価なんかない。
出来てなくて、はじめて、「こら。できてないぞ」と、オシリをたたかれる。
しかも、家事の範囲や質は、共同生活者の性質に左右され、大きく影響を受ける。

家では自分の身の回りのことをまったくしない配偶者タイプと、てきぱき、きちんとしている配偶者タイプがいる。

わたしは、夫が、帰宅してくるのが憂鬱だった。
子供に手がかかるのに、ますます手のかかる人間が帰ってきて、いいことはひとつもなかった。
出来る限り、多くの時間を外で過ごしてほしいと願った。

彼は、自分が行く先々、顔を出すことが、喜ばれることだと、思っている。
お客さんとして訪問すると歓迎される、接待してもらえる、自分の存在そのものが、プラス効果をもたらすと感じている。
行った先で、役に立つことをするとか、手助けするとか、そんなことは考えない。
顔を出すだけで、まわりを幸せにすると勘違いしている。
それは、自宅であってもそうだ。

「わあ~。おとうさん、お帰りなさいっ」
そう歓声をあげて子供が夫の周りを駆け回り、その一歩うしろで、妻がやさしく微笑む。
そうして、家庭でくつろぐ図が彼の頭の中で広がる。

(しっぽを振って出迎え、顔をぺろぺろなめて、喜びを体中で表現する、ペット犬、飼ったらいいと思う・・・)


そんな家庭像を描いている夫と、わたしとは、まるで、別の価値観を持っていた。
夫の母は、良妻賢母の専業主婦。
給料がいくらかも知らず、夫から毎月、定額を受け取り、お金の全体も把握せず、夫の使いっ走り。
わたしには、不遇の身であると思えるのだが、当の本人は、そこまで嘆いているわけでもなく、
(と言っても、義母は、いまだに時々、そのときの不平が口をついて出るが)
ただただ自分を言い聞かせる魔法の呪文は、
「いいとこのオクサマは、働かないザマスで、ございますのよ」

わたしには、時代の価値観という悪魔の魔法にかかった、明るいポジティブ被害者のように見えるが。

わたしの母は、夫や姑にも噛み付く、働く母。
職場でも家でも、夫と折半の権力を持ち、お金も、自分の持分は自由にしていた。
労働者だ。プロレタリアート。
オクサマとは、ぜんぜん、違うのだ。
(仮に背景が似たようであったとしても、稼業などで状況が違う)

夫は、自分の育った家庭環境をそのまま妻に踏襲してもらいたがり、
妻は、自分の家庭背景そのままを継続したいと願う。
今まで、見たこともないような、
自分の身の回りのことをなにひとつしない人間の専属召使になるなんぞ、だれが望む?

わたしの父は、待機時間を含めると24時間体制で働いていたが、
自宅の部屋の掃除機もしょっちゅうかけていたし、
車もよく洗車したり、菊や果物も作ったり、映画鑑賞や文筆の時間を作ったり、すごい体力の持ち主だった。
昔の人は、体力が違う。

と、そんな父親と、酒飲みの夫を比べるのは、夫が気の毒だ。
良妻賢母の義母と妻(わたし)を比べられたら、ひとかたもなく玉砕するのと同じだ。


とまあ、なにが言いたい・・・???

ああ、そうだった・・・

ある日、わたしは、先の見えない真っ暗なトンネルにいる自分を発見した。
この、ぐうたらな自分、そして、
自分の身の回りのことをまったくしない(服を脱いだら脱ぎっぱなし、子育ても、当然しない。でも、稼ぎ専門)夫、
こんな家庭に閉じこもるために、自分は、これまで一生懸命やってきたのだろうかと、思った。

評価されない仕事を黙々とやり続けることに耐えられなくなった。
絶えられなくなっても、絶えなければならない立場の人もいるんだし、人のことは、とやかく言えないが、
少なくとも、人は人であって、自分は自分、で、耐えられなくなった。
そして、自分流の自己改革、魂の解放を行った。

その対策のひとつとして、
実際、外に出て働いてみると、自分はどれだけのものか、どれだけ稼げるのか、どんなに小さい存在か、
家庭という城砦がなければ、小さな小さな低い低いレベルの人間だということが、いともすんなり、わかった。
家庭があるからこそ、逃げ場に出来る。
逃げ場がない(家庭がない人、外での仕事がない人、一方だけの人)は、深刻だ。
(でも、背負うものが少ない分、責任や義務も少ない)

それ以来、わたしだけに関して言えば、「家事は、仕事よりカンタン」と思うようになった。
決して家事を極めた人間の発言ではない。
不毛かもしれないことを歯を食いしばって、長年、耐え忍んで継続した人間の、汗と涙の結晶の言葉ではない。
家事から落ちこぼれ、仕事からも落ちこぼれ、脱落した、どっちつかずの、口先人間の言う戯言だ。

いつも両足でしっかり立っているようだが、実は、中間バランス。
可動式。
力をかける重心を微妙に調節する。
前のめり、後ろのめり、あっちに行ったり、こっちに行ったり。
都合が悪くなると、のらりくらり、ふらりふらふら。
どっちつかずの、いいとこ取り。
風穴だらけ。隙だらけ。ツッコミどころ、満載。

てな、わたしなので、
ああ、突き抜ける天然を装おう、たんなる手抜きの擬似天然ペテン師かも。

まともに、相手をしていたら、疲れますよ。


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Posted by opfj at 16:45│Comments(0)fg
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