2015年02月27日

選択の自由

3581文字の記事を書いたが、これまた、アップするのをやめた。
タイトルは、「神経に触る」。
とある某さんが、「読むと、神経に触る」と仰る、とあるブログを軸に、わたしなりの分析を延々として、書いたのだが、やめた。
もしも、とあるブログのご本人が、「あ、これ、オレ(わたし)のブログのことか?」と、へんに勘ぐって、気を悪くされると困るから。
そんなブロガーさんが、予想以上に多くて、何人も、何十人も続出してしまったら、心外だから。

うんと年上の、大先輩から、あれこれ、深いお言葉を頂戴するのは、いいが、
似たような、同世代の人から、白鳳丸功效偉そうな口を叩かれるのは、神経に触る、という、某さん、
確かにその通りだ。
それぞれ、個人の考え方や価値観を、人に押し付けられると、むっとする。
マザー・テレサのような人に諭されると、もっともだ、と、素直に受け入れられ、自ら、反省したりもする。
そうでもない人に言われると、「は? Loopあなたに、そんなこと言われる筋合いはないわ」、と、なる。
「その年で? 百年、早~い」と、なる。
しかも、カチカチに凝り固まって、絶対に動きようのない、柔軟性のない考え方だったりすると、さらに、うんざりする。
人の意見や考えに、聞く耳を持たないスタンスが、見え隠れすると、げげっとなる。
いくら、あまりある文章の才能に満ち溢れていても、神経に触る、というわけだ。
そう書くと、わたしも、偉そうなことを書いて、非難されている口なんだろうけど。
でも、わたしは、書くことが好きなだけで、べつに、文学者じゃないし、文豪でも、文筆家でもない、
自分の文章にこだわりのない、ただの、へぼブロガーなので、あまり、人のことが気にならない。
ブライド持ってやっているわけではなく、鼻息も意気込みも、たいしてなく、単なるお遊び。
お金のかからない、ストレス解消だ。
権威や、大家の重々しい威圧に苦しむほど、自分自身は、たいしたことがないので、ふつーに、へらへらしている。
これは、大げさでも、なんでもなく、正直な気持ちだ。
自負がない。
まったく、いいかげんなものだ。
そのあたり、気合、信念をもって、取り組んでおられる人とは、ちょっと温度が違うかも知れない。
だが、正統派の大家は、遊びやフリーな部分がなく、決め付け、固定観念が強い。
わたしも、固定観念はビシビシにあり、動きようがないような気がする。
しかし、自在な目線がないと、生きて行けない。
自由は失ってはいけない。
自由のないところでは、窒息する。
自分の脳内にも、自由に行ったり来たり振幅できる、柔らかさがあるといい。
(ややもすると、わたしは、振幅しすぎて、優柔不断の傾向、大いにあり)
選択の自由、多角的に捉える目、自分も他人も認める寛大さ、敬意、
こういうのが、必要。
それと・・・主流派と、アンチ主流派は、いつだって、対立する。相容れない。
それで、いいんじゃないですか?


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