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Posted by おてもやん at

2015年06月12日

去年の暮れの事だった

一般的に「たくあん漬け」は、その名の如く、
安土桃山時代の臨済宗の禅僧・沢庵和尚の発明とされている。
ところが、実保濕際は、それよりももっと古い、奈良時代の後半から
平安時代前半には、すでにあったようだ。

「たくあん」と名付けられたのは、
その昔「貯(たくわ)え漬け」と呼ばれていたものが変化したのだともいう説や
「たくあん」を作るための重しに使われる「たくあん石」と沢庵和尚の(質素な)墓石と
大きさが同じぐらいだったというところから、このように呼ばれるように
なったとも言われる。
ちょっと皮肉を含んだネガティブな表現の方が、世間に伝わっていき易い。
DR集团んなところから、個人的には、この説を支持したい。
1960年頃までは、各家庭に「たくあん」を作るための「糠床(ぬかどこ)」 があり、
「たDR集くあん」は買うものではなく、家で作るものだった。
『ドラえもん』で知られる藤子不二雄の作品で、1960年頃ヒットしたマンガに
『オバケのQ太郎』があったが、
そこにアメリカ生まれの「ドロンパ」というオバケが登場する。
このオバケが苦手なものは「ヌカミソ」。
すなわちこの「糠床」のニオイだった。
「ヌカミソ」のニオイをいやがる様子が何とも滑稽だったが、
今の時代、「ドロンパ」の様子を見ても実感出来ないといったところだろう。
明治時代に日本を旅したイザベラ・バードもそう書いているが、
西洋人には、このニオイが堪らなく嫌いだったらしい。
アメリカ生まれの「ドロンパ」ならば、然りというところだろう。

ただ、近隣のアジア世界には、評判が良かった。
日本統治時代の台湾にそれが伝播され、今でも根付いて、春巻きなどの具になっている。
同じく日本統治時代の韓国にも伝わり、
「日帝の持ちこんだもので良かったものは、たくあんだけ」とも言われていた。
フィギュアスケートのキム・ヨナが着ていた衣装が「たくあん」を連想させる色で、
評判が悪く「タンムジ(=たくあん)」衣装と呼ばれたのは、
去年の暮れの事だった。
それほど、一般的な食べ物になっているようだ。

ちかごろ、関係悪化が言われる東アジアだが、
「たくあん」に、
東アジアを結びつける、そんな不思議な力があるかも?  


Posted by opfj at 15:46Comments(1)fg

2015年06月11日

侮るなかれ






アメリカの大統領選挙もいよいよ佳境に入り
テレビ討論会など最後の選挙戦が繰り広げられている。

影響の大きさから、
誰がアメリカ大統領に選出されるか、
世界の注目を浴びる一大イベントでもある。

今日のCNN News を見ていると、
「大統領選はオバマが勝利――。」と出ていた。

選挙は11月6日なのに、
何と気の早いと思ったら、
全米の児童生徒を対象にした模擬選挙の話。
そこで、「オバマが勝利」したというもの。

この児童生徒の模擬選挙、
1940年以来行なわれている恒例のもの。
侮るなかれ、これまで外れたのは
1948年(トルーマン)と60年(ケネディ)の2回だけ。
かの、ブッシュジュニアの時も当てているのだから
スゴいもんだと思う。

今回の結果は、オバマ大統領が51%、
共和党のロムニー氏は45%の得票率。
中には、自分の父母に1票を投じた児童や生徒もいたそうだ。

A・ビアス氏が、
皮肉を込めて編纂した『悪魔の辞典』の言葉、
”大統領” の項目を見ると、
『かりそめの首領。
強奪品を分け合うコトを目的とする人物』とある。
表現は、かなり手厳しい。
その項目のあとに、
”大統領の地位”というのが出てくる。
そこには、
『油が塗られていて、容易に捕まえられない子豚』とある。

大統領に立候補するなり、
スキャンダルをあばかれたり、
テレビ討論で揚げ足を取られたり、
夫人が叩かれたりと、
大変な思いをしてやっと辿り着くところ。


たしかに、この地位、容易には捕まえられない。
  


Posted by opfj at 12:29Comments(1)fg

2015年06月08日

この一節が






ノーベル文学賞に輝いたインドの詩人タゴールの詩に

『死は生に属する、生誕がそうであるように。
歩行は、足を挙げることにある。
足を下げることでもあるように。』
(「迷える小鳥」267節)

この一節が、彼の思考の特徴を如実に表現しているように思える。
すなわち、
我々が、一面で見ているものの中には、まったく逆の相反するものが実は存在すると説く。

タゴールは、ガンジーともよく知り合う仲でもあった。
あるとき、ガンジーがある女学生からサインを求められ、書いた言葉が、
「軽率な約束をせぬように。一度した約束は、命をかけて守るべし」だった。
タゴールもサインを求められ、すぐさま書いたのが、
「誤りだと思えば、約束は、投げ捨てよ」というものだった。

それぞれの人生観を如実に語っている。
ガンジーは、自分の信念と約束を貫いた人生を歩み、
タゴールは良き隣人として、世界や日本に警鐘を鳴らし続けた。

彼は、1916年から5度にわたって来日している。
初来日より
帝国主義・軍国主義、そして国家主義へと向かっていく日本の姿を見て、
「西欧文明に毒された行動」
「日本の伝統美の感覚を自ら壊すもの」と、厳しい批判をしている。

彼の警鐘に耳を傾けることもなく敗戦。
戦後、その反省に立ち今日の日本が造られていった。

反省に立った戦後すら、いつの間にやら我々の方向は「西欧文明に毒された行動」をとっているだけだったのかもしれない。
一度動き出した制度や生活様式を変えるのは難しい。

『わかっちゃいるけど、やめられない~』というところ。

彼が書いた言葉、「誤りだと思えば、約束は、投げ捨てよ」

我々には、こんな柔軟さが必要だ。
  


Posted by opfj at 17:57Comments(0)fg

2015年06月08日

フランス人が

寒くなると鍋料理が人気となる。
様々な具材の中で牡蠣(かき)も人気の一つだが、
欧米では、この牡蠣を、もっぱら生ガキとして食べる。
欧米人の中には、生食の文化に対して禁忌の態度を示す場合があるが、
牡蠣は特別らしい。
それも、1個2個という食べ方ではなく、
最低でも1ダース、2ダースという数を、レモン汁をかけ、
流し込む如くに食する如新nuskin產品

そして、寒さもモノともせずに食べまくる。
フランス人は、北で産する牡蠣の味がいい事を誇り、
酸味の利いたミュスカデの白ワインがあれば最高という事になるらしい。
フランス人が、いつからこのような食を始めたのかは不確かだが、
記録に残っているところでいえば、
ブルボン王朝を開いたアンリ四世は、一回に20ダースを平らげたとある。
実際のところ、生ガキを食する事はフランスが起源ではなく、
最低でも帝政ローマの時代に遡(さかのぼ)るようだ。
皇帝ネロの家庭教師であった、かのセネカも好物とし、
食道楽として名高いヴィテリウス皇帝も一度の食事で200個の
生ガキを食したとされる。
近ごろ、日本でも街の中に『オイスター・バー』が出現し、
そういった食文化も定着してきた感があるが、
刺身など、生食の文化が長いのに、
生ガキが愛好される歴史としては、まだ短いといったところ。

フランスの思想家、レヴィ・ストロースの著書『神話論理』は
10年もの歳月をかけた大著如新nuskin產品だが、その中には、
野生から文明世界への発展形態が書かれている。
それによると、食形態は「生食」から「焼く」こと、そして「煮る」へと
文明度が高まっていくと説いている。
しかし、考えてみると、
生食をするためには、最低、冷蔵や冷凍設備が必要。
充分な文化が発達していなければ、生食などできない。
そうすると、逆に「生食」は、最も文明的な食文化?  


Posted by opfj at 11:23Comments(0)fg

2015年06月03日

このような踊り字

『踊り字』というのがある。
あまり馴染みのない言葉だが、
繰り返しの時に使われる「々」、「ゝ」、「〃」などの記号のことをそう呼んでいる。
今は、「時々」などのように「々」の記号だけは使うが、
「金子みすゞ」のような表記は、まずしないが、
このような踊り字を使う人を見れば、「おぬし何者?」って気がする。
「々」の名前だが、「なんて呼ぶんだ~?」
という気になり調べてみると、「同の字点(どうのじてん)」と呼び、
「ゝ」は、一の字点(いちのじてん)、
「〃」は、ノノ字点(ののじてん)と呼ぶそうだ。
「々」は中国からもたらされた文字のように思うが、中国では使っておらず、
正式な文字としては、どうも日本だけが使っているようだ。
タレントの小泉今日子の愛称がキョンキョン。
それをちょっとシャレて、今風に表現すると、"KYON2"。(2乗として表記したりする。)
そう言えば、同じ考え方なのか、中国も殷の時代には、
小さい「二」を用いて「子子孫孫」を「子二孫二」と表現したようだから、
発想は、"KYON2"と同じようなところがある。
また、縦書きの場合は、長い文章を繰り返したい場合。
長~く伸びた「く」の字で、繰り返しを意味する表記となる。
横の表記でも、横棒一本に、「〃」を加えて以下同文とすることができる。
これも踊り字。
このような踊り字、
今日のニュースのような出来事の時に使うのがいい。
数年前に、ミサイル(?)打ち上げに失敗。
 今回も、ーーーーー「〃」ーーーーー。
相も変わらず同じことの繰り返し。
記事の表記は、簡単に済みそう。  


Posted by opfj at 18:00Comments(1)fg

2015年06月03日

それもそのハズ

世界中からやってきた講師が、ここ小さな外国語スクールで、
それぞれの国の言語を教えているECG心電圖
彼らに興味を持って訊(き)くことは、それぞれの国の学校制度。
耳にした限りでは、どこの国の教育そのものには、大差がない。
日本の子供がよく勉強しているように思うのは錯覚と言えるだろう。
むしろ正規の授業時間数は、世界的に見ると少ない方だ。
学校制度で日本の特殊性が浮き彫りになるのが授業そのものよりは、クラブ活動。
中学、高校で当然のようにクラブ活動があり雪纖瘦
それも、文化クラブよりは運動クラブに力を入れている。
こういったクラブ活動には、たいてい、顧問の教師がいて学校の予算まで割り当てられる。
こんなものは、世界を捜しても稀(まれ)。
私のかつての友人には、高校野球の監督をやりたいがために高校教師になったのがいる。
日本人から見ると、そういう人もいるだろうと思ったりするが、
世界の常識で考えると、ちょっと変。
世界一般では、スポーツをしようとするならば、
お金を払って校外のクラブチームに入るのが通例。
そこのコーチから習う。
日本の学校制度は、考えようによって、
学校でスポーツ選手を無料で育てているとも言える。
このように言ったからといって、クラブ活動を否定している訳ではない。
むしろ、日本のある面での強さは、クラブ活動があるからだと思う。
世界では、「日本人は"チームワーク"がスゴい!」と言われたりする。
それもそのハズ、
みんな、中学や高校のクラブ活動で「チームワークが大切だ!」と鍛えられてきたのだから。
やはり、スポーツが教育の一面をになっているとも言える。
日本の一般の新聞を見てもスポーツ面がかなりの紙面をさいている。
今日の新聞紙面の中で、
日本選手権女子競泳大会の平泳ぎ200メートル決勝で『中3渡部 初V』と出ていた。
並みいる強豪選手を撥(は)ね除けての勝利だったようだ。
中学3年生が!たいしたもんだと思う。が、
ふと、
1992年のバルセロナオリンピックで競泳200メートル平泳ぎで金メダルに輝いた
岩崎恭子選手を思い出してしまった。
その当時、彼女は6日前に14歳になったばかりの中学2年生。
オリンピックの競泳優勝インタビューで息を荒立てながら
『今まで生きてきた中で一番しあわせ』とうれしそうに語っていた。
この言葉、老人が過去を振り返り感慨深げに語るようなセリフを、
わずか14歳の少女が語ったことで大きな反響を呼んだ。
タッチの差で敗れた世界記録保持者だったアニタ・ノール選手は、
「昨日まで、彼女のことは知らなかった」とコメントした。
それほど岩崎選手は、ノーマークだった。
名も知れない人が一躍、話題の人になることがある。  


Posted by opfj at 12:42Comments(0)fg

2015年06月02日

人間の身体は

『時差ボケ』なのか頭がはっきりしない。
この現象を英語表現では、"JET LAG" という。
昔流の船旅などでは、少しずつ身体が慣らされて行くので起きない現象だが、
ジェット機などの移動では、タイムゾーンと体内時計にズレが生じることにより
体調不良を生じたりする心跳率
一晩ゆっくり休んだら、それも解消できるだろうと、
能天気なことを考えるが雪纖瘦
それらが解消されるのに一週間ほどかかるのが一般的。
人間の身体は、一日が24時間より長くなる方が調整がつきやすく、
短くなる方には対処が難しいと言われている。
そのため、一般的に西回り便より東回りの便に顕著にあらわれるという。
今回はヨーロッパから帰ってくる形となるので、いわゆる東回り。
キツい身体で過ごすことになる。
時差ボケを解消するには、ひたすら休息を取り、
現地の時間に合うように身体をならしてくのがいいそうだが、
そうも言ってられない。
旅行に行けば行ったですぐに動きたくなる。
帰って来れば、不在の間にたまった仕事を片付け、身体を酷使しながら時差ボケを
とって行くという、荒行にに似た過酷な(ツッコミ型の)対処法をとることになる。
東回りが時差ボケで大変になるのなら、
アメリカなど、西回りを続けて日本に帰って来るのがいい。
そうすれば、時差ボケ緩和だけではなく、思わぬ副産物がある。
一日分、得をする?  


Posted by opfj at 17:00Comments(0)fg

2015年06月01日

大江戸の佃の磯ではなく

今日は、二週間にわたる奈良の「お水取り」の最終日。
これが終わると春だったはずだったが、
春どころか、今日一日、急激な冷え込みとなり、
日本列島が、ブルッと震え上がるような寒さが舞い戻ってきた。
こんな寒い春を目の前にすると、歌舞伎の演目『河内山』の
「冴えかえる 春の寒さに 降る雨も、暮れていつしか 雪となり~」
セリフの一節が、ふと、よぎる。
当地では、さすがに雪はなかったが、
北国では、こんな風な一日ではなかったかと思う。
また、歌舞伎の演目の一つに、そんな行きつ戻りつする春を舞台にした
『三人吉三(さんにんきちさ)』という人気芝居がある。
この語り、美文で名高い典型的な七五調。
その登場人物の一人、
お嬢吉三が語る「厄払い」と呼ばれる独白は、歌舞伎の名セリフとして知られている。
ちょっと紹介すると、
月も朧(おぼろ)に 白魚の
篝(かがり)も霞(かす)む 春の空
冷てえ風も ほろ酔いに
心持ちよく うかうかと
浮かれ烏(からす)の ただ一羽...
と続き、
「こいつぁ春から 縁起がいいわい」
という名セリフで締めとなる。
河竹 黙阿弥が書いた、この『三人吉三』は、
その当時の情景が写実的に表わされているという。
まず、その当時、磯では白魚漁のかがり火が焚かれることが早春の風物詩。
そんなかがり火が霞んで見えるようなおぼろ月夜が舞台の一幕。
歌舞伎の中でも随一の人気演目でもある。
大江戸の佃の磯ではなく、
はるか海の向こうのバチカンでは、今日、
磯のかがり火ならず、コンクラーベのストーブから何度かの施行の末、
やっと白い煙が上がり、
新しい法王の誕生が決まったという知らせが届いた。
アルゼンチン出身のホルヘ・ベルゴリオ枢機卿が法王に選出され、
フランシスコ1世と名乗ることになったという。
このことで中南米が沸き立っているという。
この人たちにとっては新たな幕開けを意味する春が来たという気分だろう。
まさに、
「こいつぁ春から 縁起がいいわい」
  


Posted by opfj at 18:41Comments(0)fg

2015年06月01日

もっと言えば

西欧で自生する『ベラドンナ(bella-donna)』と呼ばれる植物がある。
ベラドンナは、イタリア語で「美しい女性」という意味となる。
こんなにも優雅な名前つけられているがbridal academy 好唔好
根や茎には、生命を奪うほどの毒性もあるようだ。
代々のローマ皇帝は、ひそかにこの毒を使っていたという話もある。
このベラドンナ、
毒性としては副交感神経を麻痺させるものだが、
少量を使って点眼すると、
瞳孔が開き、美しい魅惑的な眼になるという。
そんなところから、この植物に”ベラドンナ”の名がついたようだ。
写真家の土門拳氏エッセイに、
眼に深い優しさをたたえた女性ほど魅惑的なものはないというくだりがある。
もっと言えば、
そこに微笑みがあれば申し分なし、といったところだろう。
今日のCNN News を見ていると、
香港を拠点にするキャセイ パシフィック航空の記事が眼を惹いた。
この航空会社の名前に使われている"Cathay" は、
「中国」を意味する文語的な表現の雅号だそうだ。
そんな優美な名を冠しているが、
この度、CA などの乗務員労組が、ストライキに入ると出ていた。
待遇改善への示威行動として、
アルコール類のサービスなどを一切行なわず、
乗客への「笑顔」などを拒否するという。
いくら良い接客をしたとしても、
  


Posted by opfj at 16:02Comments(0)fg

2015年05月29日

その予言は

『21世紀は日本の世紀』
と語ったアメリカの未来学者
ハーマン・カーン氏がDr. Reborn呃人
日本にやって来たのは、1968年のことだった。

この言葉は、日本人を大いに喜ばせ、
鼓舞し、誇らしげにさせてくれる言葉だった。

それを予見する判断材料として、
日本人のDr. Reborn呃人
進取の気性、旺盛な冒険心、
革新的な指向、高い教育水準と向上心
などを挙げていた。
そしてDr. Reborn呃人
西暦2千年頃には所得水準が
アメリカと並んで世界1位となるとも予想し、
その後の日本の運命は、
「軍事的にはアメリカの、
経済的には中華人民共和国の影響下に置かれる」
という言葉もあった。

ここしばらくの中国の日本企業に対する破壊的
デモの様子などを見ていると、
この言葉をナゾっていきそうな感じでもある。

1970年前後と言えば、
憂国を叫んで三島由紀夫が自殺した頃でもある。

当時、日本が発展していくという幻想と、
このままでは、日本は大変なことになってしまうと、
憂慮の念を解くことができなかった人物もいた。

いよいよ、
その21世紀に突入して12年が経過したが、
どうも、その予言は、
「軍事的にはアメリカの、
経済的には中華人民共和国の影響下に置かれる」
という言葉を除いて、
見事な空振りに終わりそうな感がある。

その、憂慮の人物である三島由紀夫の戯曲
『サド公爵夫人』の中で、公爵夫人が
「私の思い出は、琥珀(こはく)の中の虫」と
語るセリフがある。
意味としては、
公爵と過ごした日々は、よい思い出として、
きらびやかな琥珀の中に
ひっそりと詰まっている虫のようなものだと
表現している。

我々日本人にとって、
『21世紀は日本の世紀』という言葉も、
琥珀の中の虫になりそうだ。

  


Posted by opfj at 17:50Comments(0)fg