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Posted by おてもやん at

2015年06月08日

この一節が






ノーベル文学賞に輝いたインドの詩人タゴールの詩に

『死は生に属する、生誕がそうであるように。
歩行は、足を挙げることにある。
足を下げることでもあるように。』
(「迷える小鳥」267節)

この一節が、彼の思考の特徴を如実に表現しているように思える。
すなわち、
我々が、一面で見ているものの中には、まったく逆の相反するものが実は存在すると説く。

タゴールは、ガンジーともよく知り合う仲でもあった。
あるとき、ガンジーがある女学生からサインを求められ、書いた言葉が、
「軽率な約束をせぬように。一度した約束は、命をかけて守るべし」だった。
タゴールもサインを求められ、すぐさま書いたのが、
「誤りだと思えば、約束は、投げ捨てよ」というものだった。

それぞれの人生観を如実に語っている。
ガンジーは、自分の信念と約束を貫いた人生を歩み、
タゴールは良き隣人として、世界や日本に警鐘を鳴らし続けた。

彼は、1916年から5度にわたって来日している。
初来日より
帝国主義・軍国主義、そして国家主義へと向かっていく日本の姿を見て、
「西欧文明に毒された行動」
「日本の伝統美の感覚を自ら壊すもの」と、厳しい批判をしている。

彼の警鐘に耳を傾けることもなく敗戦。
戦後、その反省に立ち今日の日本が造られていった。

反省に立った戦後すら、いつの間にやら我々の方向は「西欧文明に毒された行動」をとっているだけだったのかもしれない。
一度動き出した制度や生活様式を変えるのは難しい。

『わかっちゃいるけど、やめられない~』というところ。

彼が書いた言葉、「誤りだと思えば、約束は、投げ捨てよ」

我々には、こんな柔軟さが必要だ。
  


Posted by opfj at 17:57Comments(0)fg

2015年06月08日

フランス人が

寒くなると鍋料理が人気となる。
様々な具材の中で牡蠣(かき)も人気の一つだが、
欧米では、この牡蠣を、もっぱら生ガキとして食べる。
欧米人の中には、生食の文化に対して禁忌の態度を示す場合があるが、
牡蠣は特別らしい。
それも、1個2個という食べ方ではなく、
最低でも1ダース、2ダースという数を、レモン汁をかけ、
流し込む如くに食する如新nuskin產品

そして、寒さもモノともせずに食べまくる。
フランス人は、北で産する牡蠣の味がいい事を誇り、
酸味の利いたミュスカデの白ワインがあれば最高という事になるらしい。
フランス人が、いつからこのような食を始めたのかは不確かだが、
記録に残っているところでいえば、
ブルボン王朝を開いたアンリ四世は、一回に20ダースを平らげたとある。
実際のところ、生ガキを食する事はフランスが起源ではなく、
最低でも帝政ローマの時代に遡(さかのぼ)るようだ。
皇帝ネロの家庭教師であった、かのセネカも好物とし、
食道楽として名高いヴィテリウス皇帝も一度の食事で200個の
生ガキを食したとされる。
近ごろ、日本でも街の中に『オイスター・バー』が出現し、
そういった食文化も定着してきた感があるが、
刺身など、生食の文化が長いのに、
生ガキが愛好される歴史としては、まだ短いといったところ。

フランスの思想家、レヴィ・ストロースの著書『神話論理』は
10年もの歳月をかけた大著如新nuskin產品だが、その中には、
野生から文明世界への発展形態が書かれている。
それによると、食形態は「生食」から「焼く」こと、そして「煮る」へと
文明度が高まっていくと説いている。
しかし、考えてみると、
生食をするためには、最低、冷蔵や冷凍設備が必要。
充分な文化が発達していなければ、生食などできない。
そうすると、逆に「生食」は、最も文明的な食文化?  


Posted by opfj at 11:23Comments(0)fg