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Posted by おてもやん at

2015年05月18日

そんな私だけど


「信頼」なくして良い人間関係は築くことは出来ない。相手を信頼することが出来なかったらその人と深く関わろうとは思えない。

土曜日の午後だった。哲が仕事から戻って来るとすぐに、ハルを連れて私達はシャーリントンヴィレッジへ足を運んだ。楽しみにしていた犬のイヴェントは11時から始まっている。「ただいま~。」と帰って来るなり「早くっ!早くっ!」と私がせかすせいで、哲は急いでネクタイをはずし、シャツを脱いで、短パンに着替えた。そしてハルを連れて家を出て、敷地内から道路に続く階段を下りる哲の後姿をふと見た私は、、、、、「やだーーーっ!哲っ!そのシャツ、アイロンしてないよっ!グッシャグシャだよっ!」いつもそうだ。夫婦長年連れ添っていると、相手が何を着ているかなんて全く気にもしなくなる。だから外に出て始めて哲が着ている服を見た、というよりは目に入った私は唖然としたのだった。「えっ?だって、これ、ハンガーに掛かってたよ。」「ハンガーに掛かっていても手前のラックは未アイロンなのっ!奥に掛かってるのだけ、アイロン掛けてあるんだよ。。。。」「大丈夫だよ、汗で皺も伸びるから。」確かにその日は暑く、ヴィレッジに着いた時には調度良い具合に皺も伸びたけれど、あの皺だらけのシャツを「幸子がアイロンをかけたシャツ」と思って疑いもせずに哲は腕を通したのだ。信頼。

時々、いや、頻繁に、私は哲にアレコレ頼む。そんな時だけ下手に出る私は、「あ、哲、ちょっとテーブル汚れているから拭いてもらえるぅ?」「あ、哲、乾燥機に洗濯物、入れておいてくれるぅ?」「あ、哲、そこの床の埃、取ってもらえるぅ?」と甘えた声を出す。そして、哲は文句も言わずにハイハイと動いてくれる。そんな哲に私は「ありがとう」ではなくて「ねぇ、哲、本当にここ、拭いてくれたっ?」「ねぇ、哲、乾燥機の埃も取って入れてくれたっ?」「あ、まだ埃、床に残ってる。。」と哲の働きを認めずに、頼んだことをきちんとしてくれていないのではないかと疑うのだった。不信。

皺でクシャクシャなシャツを見ても「幸子がアイロンかけたんだ」と信じて疑わない哲とは反対に、頼んだことをしてくれているのに疑う私。私ももっと哲を信頼しなくっちゃと、思いかけて、、、、いや、哲は家の埃も見えない目を持っているから、、、、本当に皺も見えなかったに違いないと思いなおした。

そんな私だけど、哲のことは心から信頼している。信じて頼っている。  


Posted by opfj at 15:41Comments(0)fg

2015年05月18日

この意味を言うと

江戸時代前期の俳諧師・服部嵐雪(はっとりらんせつ)は、松尾芭蕉に入門し、
蕉門の最古参の一人となる。

芭蕉は嵐雪の才能を高く評価していたとされ、
「草庵に桃 桜あり。門人に其角 嵐雪あり」と称えたと言われる。
嵐雪の作風としては、視覚的な才が際立っている。

十五夜を詠んだ句に雋景
「名月や 烟 (けむり=川霧) 這(は)い行く 水の上」というのがある。

これを解釈すると雋景
「初秋の頃、昼は温度が上がるけれど、日が落ちると急に気温が下がってくる。
その温度差から、夕方になると川霧が発生する。
そんな靄(もや) に包まれた水面(みなも)には、名月が霞むように映っている」
という幻想絵画的な句雋景

19日は、十五夜。

月と言えば、
「江戸いろはかるた」の「つ」には『月夜に釜を抜く』が収められている。

これは教訓的な言葉だが、現代人にはこの ”ことわざ” の意味が分かりづらい。
この意味を言うと、
「明るい月夜だから盗まれる心配はないだろうと油断していると、
大事な釜を盗まれてしまうよ」という意味。
すなわち、「油断大敵」を表わす。

また、
江戸中期に書かれた『春笑一刻』の中に、十五夜の話が出ている。
その話によると、
庭に入り込んだ不審者を見つけて、
「何ヤツ! ”月夜に釜を抜くために”来たのか?」と言うと、
「いえ、滅相もございません。
お庭の水瓶(みずがめ)に映った「月」があまりにきれいなので、
水に映った月を掬(すく)っておりました。」と。

あまりに風流な返答に、賊を逃がしてやったという、小粋なはなし。  


Posted by opfj at 11:20Comments(0)fg