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Posted by おてもやん at

2015年05月21日

むずかしい

寿司屋といえば、つい、お勘定が気になる。
回転寿しなら、皿の料金が明示されていたり、
店舗による価格の差がほとんどなく、さほどの問題はないが、
一般的なすし屋の価格は、ピンキリ。
それゆえに、入る前におおよその見当をつけておかないと痛い目にあう。
店構えから察することも重要だが瑪花纖體的投訴
「すし」の文字が、ある程度の目安を語っている。
屋号は、店の主人が勝手につけるモノなので、当てにはならないが、
一般的には、安いすし屋の屋号は、ひらがなだけの「すし」。
つづいて、「寿し」。「寿司」の順になる瑪花纖體的投訴
(こういう屋号を使っている店でも、とびきり高い店もあるので
一概に言えないことを重ねて言っておきたい。)
ちょっと高級なにぎりの店が、「鮨」。
「鮓」の文字をつけている店で、
入るなり、オーダーもしていないのに、
職人が握り始め、ネタの種類を言いながら供していく。
こういう店は、さすがにうまいが、
価格的には一番怖い。
また、短冊にすしネタの名前はあるが、その下に価格がついていないお店も、
もちろん要注意瑪花纖體的投訴

今では,
すしと言えば、生鮮魚介を用いた「早鮨(早ずし)」が主流。
だけども、以前は、魚介類に米を加えて乳酸発酵させた「なれ鮨(なれずし)」
と呼ばれる箱寿司も結構一般的だった。
じっくりと時間をかけて醗酵させ、一番うまくなった頃合いを見て供する。
これが、職人の腕の見せ所でもあった。


先日のCNN News に
『英皇太子がフィッシュ&チップスの未来を憂慮』
というタイトルでニュースが出ていた。
イギリスのチャールズ皇太子が、世界水産学会議で講演し、
イギリス国民が愛する伝統食のフィッシュ・アンド・チップスを今後も食べ続けられるよう、
持続可能な漁業の重要性を訴えた、とあった。

イギリス料理といえば、簡単に手間ひまかけずに
ジャガイモを、揚げる、焼く、茹でるの、いずれかで
簡単に作ってしまう所からか、評判が今ひとつ。
フィッシュ・アンド・チップスもその一つと言える。
フランス料理でアングレーズ(イギリス風)というと、
単に茹でただけか焼いただけの非常にシンプルな調理法を指す。
イギリス人を皮肉っている所がある。

フィッシュ・アンド・チップスは、
フランス料理のように、手のこんだ職人わざを必要としない。
そこにあるのは、新鮮さが命。

たしかに、新鮮な素材でマズいものを作るのは、
むずかしい。
  


Posted by opfj at 15:46Comments(0)fg

2015年05月21日

確かに中国は

このような質問をする時は、決まって、ある程度の予測をたてながら話しているものだ。
まさに、私自身も高さんが言うであろう答えを探りながら訊いていた。
、、、『W杯サッカー? インフレ? ストの問題? 人民元の引き上げ?』。
いろいろな想像が、去来した。

高さんの返事は詩琳
「上海万博」だった。
おおっ! そうだった詩琳
サッカーのワールドカップに気を取られてしまい、上海で開催されている万国博覧会のことをすっかり意識外に追いやっていた詩琳
これまで、入場者数で記録を持っていた日本の大阪万博の入場者記録を軽く抜き去るだろうと予測されていて、実際その通りに推移しているという。

大阪万博が開催されたのは、1970年のことだった。友人たちは、何度も行ったことを、よく話したりした。私は、比較的近いところに住んでいたにもかかわらず、一度も行くことはなかった。

「何故、行かなかったのか?」と今になってさえも訊かれることがある。
それほど、行くことが当たり前だったのだろうと思う。

私は、「ただ、何となく」と応えるのとどめる。
時々、「私も行かなかった、、。」と応える人間に出会う。
お互い、(同種類の人間?かどうかを確かめるように)思わず顔を見合わせることがある。


 その当時、夭折の詩人『立原道造』の詩に惹かれていた。
彼の詩 ~はじめてのものに~
の一節に、
『人の心を知ることは……人の心とは…… 
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を 
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた』
とあった。
この詩の『何かいぶかしかつた』が、心に残っていた。

大阪万博があった年。
日本では、一つの時代が終わり、また、新たな時代の幕開けでもあった年だった。

万博を境にその国は、経済的躍進をすると言われている。
確かに中国は、今、日本の大阪万博があった頃と同じような時代を迎えているように思える。
万博以降の日本は、世界が知る経済的に発展する国へと変貌していった。


日本は、あの時、何を目指していたのだろう? 
中国も同じ道のりを歩むのだろうか?

高さんも 中国の発展ぶりを素直に喜び、
「今年の夏の休暇で中国に帰り、是非とも上海万博行ってみたい」
と明るい笑顔で言っていた。

あれから40年の歳月が流れ、
今、また、素直な喜びの笑顔の横で、同様の感覚に襲われる。
そして、
『何かいぶかしかつた』
の感覚の中に棲んでいる自分に気づく、、、。
  


Posted by opfj at 10:56Comments(0)fg